行基(ぎょうき・ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日 (旧暦) 2月2日(749年2月27日))は日本の奈良時代の僧侶である。 父は百済系渡来人氏族の末裔西文氏(かわちのあやし)一族の高志才智とされる。母は河内国(のち和泉国)大鳥郡の蜂田首(現在の家原寺)の出。
河内国(のち和泉国)大鳥郡(大阪府堺市)の生まれ。681年に出家、官大寺で法相宗などの教学を学び、集団を形成して近畿地方 関西地方を中心に貧民救済や治水、架橋などの社会事業に活動した。704年に堺市の家原寺に住居を構える。民衆を煽動する人物として国家からは弾圧されるが、のちには厚遇されて745年(天平17年)に朝廷より日本最初の大僧正の位を贈られた。行基の活動と国家からの弾圧に関しては、それぞれに対して、同時代の中国で席捲していた三階教教団の活動と唐朝の弾圧との関連や影響関係が指摘されている。三世一身法が施行されると灌漑事業などをはじめ、東大寺大仏造立にも関わっている。749年2月2日に80歳で入滅した。生駒の竹林寺に墓所がある。
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